「飯舘村の未来を考える会」に参加された村民の方の声とデータブックをご覧になった方から直接いただいた声を項目別にご紹介します。<速報版>

個人的な情報も含まれますので、一部抜粋、補完等のうえ公開します。

第0回 平成28年11月24日 村民参加者4名
第1回 平成28年12月19日 村民参加者6名(20、30、40、50、60代)
第2回 平成29年 1月11日 村民参加者5名(農家)
第3回 平成29年 1月25日 村民参加者6名(仮設住宅への避難者)
第4回 平成29年 3月 6日 村民参加者3名(子育て中お母さん)
データブック説明+意見・提案等交流会
第1回 平成29年 2月 8日 村民参加者10名(仮設集会所)
飯舘村関連シンポジウム時 データブック配布
平成29年2月28日 村民・村民外参加者160名

※データブックをご覧になった方の声も含まれています。●で表示しています。

<新たなデータ(グラフ)等のご要望>

〇カスミソウで再開したいという意向がある。投資額と売り上げ、利益等が予測できる情報が必要、欲しい。
〇子牛の販売額(イコール、母牛の導入額)のデータがあるとこれからのことを検討しやすい。
〇汚染土等の仮置き場の数、フレコンバックの数の推移や現状もわかると良い。
〇復興の指数が土地利用の状況なのかもしれない。
〇村の財政が今どうなのか、これからどうなるかの情報も欲しい。
〇飯舘村に戻るのは2~3割。そのうち農業をするのはどれくらいだろうか?これだけの土地(2,000ha以上)を維持していくためにはどうするべきなのかをデータで考えてほしい。そもそも2,000ha以上を手入れ、維持するためにはどれだけの労力がいるのか、それを算出してほしい。
〇必要な景観、それを維持するためにはどれだけのコストがかかるのか、出してほしい。
●避難指示解除 1年後(平成30年3月)、飯舘村がどう変わったのか?それを見せて欲しい。村に戻りたい方、戻るかどうか迷っている方にとって、とても重要なデータになると思う。
●買い物、コミュニティ、様々な生活情報が数字で見ることができる、経過がわかると良いと思う。
●出生者数と死亡者数の推移があれば、これからの人口の推移がもう少しイメージしやすい。
●村内外の就労状況。現在、どのような職種・職場で飯舘村の方が働いているのか。また、就労実態も知りたい。そして、5~10年後、飯舘村にどのような職場・職種を期待しているのかも知りたい。その情報をもとに、企業誘致、土地利用などを考えれば、飯舘村の方が戻ってくる割合も高くなる。
●村民の健康状態のデータ化。

<データブックの感想等>

〇データを見て読み解くのが初めてなので新鮮だった。何らかの方向性が見いだせ、政策などまで行かなければ。
〇人口の予測を見ると、これまでの文化や伝統がこれからどうなるのか心配。
〇高齢者にとっては情報をとるのが大変。データブックを可能な限り続けてほしい。
〇全戸にデータブックを配布してほしい。
〇良い情報を発信し続けてほしい。
〇日常に紛れて将来のことを考えていなかったので、良い機会になった。
●周りの声を聞いてなんとなく感じていたことが、こうやって数字やグラフを見ることによって、具体的に確認できた。
●手にとって、じっくり読むことができることは、何か安心感につながる。本として飯舘村の情報を読めることはうれしい。
●新人職員にとって飯舘村を知ることができる良い資料だと思う。職員にぜひ読んでみて!と勧めた。
●このような本があると助かる。近くに避難している村民の方に持っていって貸してあげた。
●飯舘村の牛農家は、震災前こんなにいたんだな。牛農家は減っているのに、子牛が多くなっている。
●非常に貴重なデータブックを作成してくださった事に感謝します。民間で、自主的に作るということまでは考え及ばなかったことです。本当にご苦労さまでした。欲を言うなら、今後の更新・継続をお願いしたいです。

<自分・家族の「これから」について>

〇5年間農家でない生活を経験して、周りの仲間と比較すると、いずれお金が無くなる、そのために何とか仕事をしている。そうした状況が嫌である。帰る前の「生計を立てる」という、現実がものすごく大事。
〇戻る、戻らないは家族を壊す可能性があるので、難しい。国が何ミリまで大丈夫という基準があるけど、それだけでは判断できない。こうだから、収入大丈夫だから戻って来いと、それだけで決まることができない。許容できる人もできない人も村民である。そこで合意すると後後よくない。
〇女の人は子どもや旦那の判断で帰村を判断する。子どもを思えば帰れない、事業を考えると帰らなくてはならないなど、状況がある。
〇飯舘の自宅、傷んでいくから壊したほうがいいのではないかと旦那がいう。子どももいいんじゃないかという。自分は戻る場所がなくなると帰れなくなると思う。飯舘の家を壊していいのか悩んでいる。
〇問題は大変だが、自分でできることをしていくしかない。毎時組の会をするが、それぞれ思いを持っている。まだ捨てたものではないのでなるようになるはず。
〇帰還後しばらくは子供も小さいので、福島に住んで通うことになりそう。
〇飯舘村の土地を荒れさせたくない。
〇個人的には飯舘の風景を守るためにも二拠点居住にするつもり
〇子供が福島の学校にいるので、これからは未定
〇先祖からの土地を守りたいと思う。
〇自分所有の土地(農地)がほしい。福島でもよい。
〇死ぬときは飯舘。墓は飯舘にあるので。福島に持ち家があっても、よく眠れない。そんな感じでいるのは嫌だ。
〇人口については自然現象じゃない減り方が問題。家族でも毎年どうするか話すが、孫は高校までは避難先だが、その後は聞けない。
〇孫や子供に戻れとは強制できない。
〇小学生の頃の孫は、自分の跡をついで農業したいと言っていたが、原発で途切れてしまった。家族のこの先すらわからない。
〇子供世代は、孫の学校や放射能の問題で、帰りたくないだろう。
〇放射能があるうちに子供や孫に帰って来いとは言えない。自分が死んだ後に子供が帰ってくるかわからないのが寂しい。次男は村内の会社に勤めているので継ぐかとは言っている。
〇仮設住宅がある間は、仮設に住んでいたい。可能であれば、みんなとずっと住んでいたい。
〇やっぱり、放射性物質は不安。キノコも食べれない。いくら戻ってもいいよと言われても、無理なものは無理。不安で今の飯舘村には住めない。
〇将来、飯舘に戻れるかはわからないので、今のところは村での生活のことは考えていない。お墓は守らないと・・・とは思う。
〇家族でも飯舘のことや今後のことの話はあまりしていない。
〇育児が終わったら飯舘に住みたいと夫とは話している。
〇いつまで学校の区域外通学ができるのか不安。家族で住民票を移すかという話になった。10年以上帰らないし、家も福島に買った。移した人から聞いても、特に変わらなかったと聞いている。住民票を移して、「避難者」という状況を終わらせたいという気持ちもある。
〇子供の住民票を移す場合、母子だけ変えようとしている。
〇借り上げアパートなので、いつまでいられるかが不安。
〇あと10年以上たって歳をとってから飯舘の生活に戻れるのか。雪かきや草刈りなど。これまでは夫と義父が中心にやっていた。不安である。

<村の「これから」について>

〇これからの村の財政が予測つかない。支出と収入のバランスが取れるのか。国や県からの予算が震災後に増えているが、今後どうなるのか。
〇農業や小売りが村内で難しいので、歳入が増える見込みがあるのか。
〇震災前から、人も減っていたので村の田園風景などを守るのが難しかった。これから先にどこまでできるのかは不安がある。何か別な方法や政策が必要。村は開墾の歴史なので、維持できないなら山に返しても良いのでは。返し方も重要。民間の力で何かできないか。木を植える運動など。
〇除染はしたが、今後土地の管理や維持はできるのか。人が住んでいないところに今後予算はつくのか。
〇遊休農地ができるのは、一部でも荒れたところができるということ。
〇それぞれの判断を尊重するしかないし、その空気を作らなければ。
〇飯舘に就職先から戻ってきて良い村だと思った。今、また村の良さを再確認できるタイミングだと思った。
〇除染が終わって本来の村に近づいたのに、人がいない。農地はこれからどうなって行くのか、気になるところ。仮置き場の話や、除染がある程度で止まるので、気になる情報。
〇工業は働く人がいないのが大変。
〇去る者追わずで、出て行ったものは仕方がない。全国から農地等を引き継いでもらったほうが良い。外部から来られるような村づくりを考えていきたい。
〇元には戻らない。現状を理解して、新しい発想を持つ人が大事。
〇福祉(メガ老人ホーム等)・再生・更生(更生施設等)の土地にでもしたらといっている。よそで受け入れられないものを受け入れる場所でよいのではないか?
〇仮説から行くと人口は減るが、限界集落化は避けられない。ならば、行ってみたいと思う村づくりがあってもよい。飯舘村の景観をさらに充実させてほしい。行くと落ち着く、ほっとする。村外の方も来てもらえるような村に。
〇今のお年寄りは元気なので、戻ってきた人が生き生きして暮らせるような村づくりを考えてほしい。
〇この地域がどうなって行くのか、毎日考えている。
〇集会をして、120数戸あって戻るのは26,27戸程度になりそうだったが、ほとんどが高齢者夫婦のみ。子供に負担をかけないために、建物を壊したという話を聞くと寂しさを感じる。
〇組の付き合いを残さないと、地域が荒れていく。
〇介護業者がいないことも課題。薬局がないのも問題なので、診療所の利用者も月5人くらいと聞いている。
〇デイサービスなどを利用している人が仮設には多いが、飯舘村に帰ると利用できないので帰れない人がいる。婦人会等の会の役割が増える。高齢者を買い物に連れて行くなど、もともとやっていた。
〇村から婦人会に補助を出して、以前のような会を復活させては?
〇女性だけでなく、皆でやっていかないと。
〇婦人会も少なくなってきて、部落ごとでの維持は難しい。
〇自分も歳を取るので、お互い様を考えないと。
〇閉校する小学校を特養やグループホームとして使っても良いのでは。
〇独りで飯舘に戻るが、病気になった時など心配なので、定期的な見回りは欲しい。
〇村に見守りを頼むだけではなく、地域で担わないといけないだろう。
〇村議は代表の役割をはたしていない。区長など、顔の見える人を代表にしないと。仮設の集会所に定期的に来るなど、声を拾ってほしい。
〇避難している人に親身な相談を行政はして来ない。避難が解除された後の賠償に批判は高まるだろう。だが、フレコンパックも残っているので、復興準備としてこれまでのような支援が必要。3月31日解除なのに、まだビジョンが示されていないのは遅い。
〇若い人が村外に行ったのに、箱モノがあっても仕方ない。
〇安心や安全の前提ができるまで帰って来いとは言えない。村が自己責任で帰れと言っているのと同じ
〇帰ろうかと言っている息子もいるが、フレコンパックがあれだけある状態で帰らせられるか。慣れが怖い。
〇解除後の飯舘を写真や動画で発信してほしい。
〇グループホームなどをいくつか作ってほしい。村としても安否確認しやすくなるだろう。
〇運転できない人にとって、住みにくい復興住宅には入らない。
〇深谷の道の駅などの施設をどう運営するのかわかならい。村が予算を出しているが、どうなって行くのか聞いていない。維持管理費等もかかるが、村の予算が使われるのか。
〇村民の考えと、村議の考えがずれている。
〇定期的にグランドゴルフをする等、定期的な集まりが欲しい
〇放射性物質測定の結果食べてダメと言っているものを、少しなら食べてもいいような発言をする講師先生がいる。ダメなものは、ダメとしないと何のための検査か分からない。
〇飯舘に戻ると、買い物や病院が原町になり遠くなる。
〇現実として、飯舘に住んだことがないのでイメージがつかない。
〇子育てしやすいので飯舘に移住を呼びかけていたのが、飯舘に元からいた人を切ったように感じた。今は戻らないと決めた人が、将来戻ってくるようになってほしい。どこかに行っても、いずれ戻ってきてもよいというような優しさが村にはない。子供たちにとって、飯舘って良かったと思ってもらえないと思う。
〇飯舘は好き。みんなが帰りたいと思ってほしい。
〇いろんな考えがあるのに、村が認めてくれないという印象がある。この悪い印象がいつになったら良くなるんだろう。
●飯舘村議会の議事録をなるべく早く公開してもらいたいと思います。
●避難先に住民票を移動してはいけないのでしょうか?移動すると何か不都合があるのでしょうか?何が変わるのか教えてください。

<村の農風景・環境について>

〇太陽光は、今までの飯舘のイメージから考えると反対。無機質なものなので、お金に換えられないものもあるはず。
〇農地がきれいに作られていないと美しい村ではない。山は自然の成り行きでもよいが。
〇田んぼは季節ごとの風景があり、それが村の美しさ。手入れされている美しさ。
〇家に帰って深呼吸して落ち着ける環境だった。
〇美しい風景は人の手が入っていたからだと感じた。30-40年後を考えなけれmば。
〇農地に戻せないところは、もともと開墾した地なのだから、山に返す。返す時も将来の良い景観を目指して植樹する等考えてもらえればよいと思う。
〇自然生態系が崩壊したことが最も悲しい。自然の恵みの価値を受けて、苦しくても生きてきた。そういう村なんだということが思い出される。それが壊されてしまった。それは戻らないだろう。自分たちのいる世代に戻すことは難しいだろう。作物を作れなくても農地保全しながら残す。農地として使わないところは付加価値をつけて山に戻す。
〇蕨平の焼却施設からの煙が気になる。
〇相続や贈与で30-40代所有の農地が生まれてくると思うが、農業未経験者なので、いままで同様の景観維持は難しい。その世代にとって、飯舘村の農地がいつの日か負担になる日が来ると思う。農地の村有化、国有化を進めるしか景観は守れない。どうにもならない土地が大量に生まれるような危機感がある。
〇キノコや山菜をとることを禁止されると、高齢者は何をしてよいのかわからない。今は仮設の集会所で体操などしているが、帰ったら近所と遠くなる
〇村の一等地に道の駅やソーラーをたてるだけでは仕方ない。村民的には最悪。

<村の農業について>

〇仲間がいないとどうにもならない。特にお米。上流から水路を構成していて、共同設備。一人ではコスト負担が大きすぎる。自分の行政区ではとても無理。牛も土手草、わら、それら稲作の副産物を利用できるから成り立つ。
〇カスミソウで再開したいという意向がある。行政区で話をまとめないと進められない。自分たちで進めるためには、投資額と売り上げ、利益等が予測できる情報が必要。一株当たりいくらになり、市場からのニーズがあれば。子どもを育てている立場では、生計が経たないと踏み込むことはできない。若い人は舵を切ることができない。
〇農家で収入を得るためには、規模を大きくするしかない。米でも難しい。
〇施設をしっかり立てようとすると1~2億円の費用がかかる。補助金、助成金が個人で落ちにくい。法人だと、雇用創出が伴わないと厳しい。帰村して事業するのは、投資というリスクが大きい。
〇以前は、高齢者は農業、若い人は務めるという兼業。子どもが小さいから遊びに行きたかったが、農業があって出かけられなかった。
〇今の時代農業で来ている人は、親の代で先行投資をしている人。
〇堅実に事業を進めるために、ちょっと牛を飼っておこう。みたいな感じで買う人もいる。まさに蓄産。堆肥つくる、稲わらを作ってくれる。寒いところではそういうところがある。
〇専業の畜産農家は少ない。リスキー、為替変動の影響がある。何かの副産物を利用するという考え方から牛を活用するという考え方が強かった。投資金額を回収するまでが大変。母牛は8~10年、牛舎は20年先の投資になる。「これあるからやろうか」という動機で、新規で畜産をこれからやろうというのはなかなか難しい。
〇第二種兼業農家の比率が圧倒的に多い。若い人だけになると、田んぼを頼んでしまい米だけをもらうということもある。荒らしたくないから。今後問題になるだろう。 〇若い世代で専業農家はほとんどいないから、戻って農業をやる人はいないだろう。
〇他の人がいないので、その分大規模農業をすればチャンスかも。
〇米作りは、灌漑設備等も含めて管理しなければならないので、人数が減ると成り立たない。手入れをしていないと水の流れも変わっている。
〇農地のうち、現在どう使われているかが重要。遊休地や仮置き場になっているなど。遊休農地がこれからどれくらい作付けされるのかが重要。家族経営じゃない農業の道の模索ができるのでは。補助金漬けではなく、リスクは背負って農業を事業にする気概が必要。
〇子供の頃や会社等に勤めてもかなり農業の手伝いはしてきた。40歳くらいはそのような人が減ったので、農地などへの問題意識が薄れたのではないか。農業をやってきた人は、荒れた農地を見たときに感じることがあると思う。
〇震災の時に転職できる歳ではなかった。だから農業を始めたが、若い人はそうならないのでは。
〇若い世代の中には、震災をきっかけに、農業を継がなくてよいと考えている人がいる。
〇飯舘村の農業そのものにもともと限界があったと認識している。日本全体にいえるが、原発とは無関係に後継者不足の問題をどこでも抱えている。
〇花、野菜の持ちがいいなどの飯舘ならではの特性がある(特に夏の夜温の違いによる影響がある)。和牛でも、飯舘は受精卵の他地域導入などを進めて、花と和牛で食べられるような状況になっていたと思う。夏は花卉、冬の牛。
〇飯舘村では、生産者によって、売価もかなりかなり変わる。名前によって単価が変わる。いいもの出した分だけ良い収入がある。そうした切磋琢磨が、他地域よりも良いものが生まれた。それがなくなった。個人でやっているとそうした競争が生まれない。個人の活動になっている。
〇飯舘村の時は、生産者どうしの競争もあった。飲むときは仲良くするが、生産ではライバル。
〇飯舘村では、販路が選べていたのでやりがいはものすごくあった。いまはJAのみの出荷。モチベーションは上がりにくい。
〇今の補助事業は持続性がない単発。
〇農業が再開できる条件は、「仲間」かな。農業を行う、仲間5~6人もいれば、手入れもできる。何年かかるかわからないが、東京あたりに行った親類が継ぐかもしれない。
〇農業が再開できる条件は、時間かな。風評的な被害がなくなるまでの。
〇飯舘村と福島市や他の土地、作付けの時期をずらせるから、生産期間を長くできる。連携、つながりを持つことで展開が可能ではないか。
〇飯舘村の振興目的で、ワイン用ブドウの開発を始めている。ワインを子どもは飲まないから。
〇米なら酒米にすれば良い。セシウム等の数値はでない。
〇飯舘村の農業のレベルは高いと思う。自然災害と戦ってきたという歴史がある。
〇農地保全をしなければ、飯舘村は残らない。
〇色々と生産を試してみたが、最も低いのが根菜類。吸着しにくい。そして、加工していくしかないのではないか。産業化できれば良い。
〇飯舘の農業について、実践者にもっと相談してほしい。
〇被災地域の稲作をすべてやめても、国のコメは余る。米作りができるように戻すというよりも客土して畑にして、新たな作物などを考えた方が良い。
〇飯舘が工業で発展するというのは考えにくい。村、農協が中心になって花にしてもなんにしても、腕がある人でないと目が出てこない。村が主導しても若い人は入ってこないだろう。
〇農業支援を村にやってもらいたい。魅力があれば若い人も戻ってくることもあるのではないか。
〇帰る人がせいぜい50,60代で、それでも若い方になる。土地を荒らせないという意思で戻る人が多い。
〇子供が定年まであと15年、それまで土地を守ることはできない。やる気はあってもできないという家が多くなるのではないか。
〇関東などで、福島のものを買わないと言われると、百姓をやる気もそがれる。自分が食べるなら良いが、販売して生計を立てるのは難しいので、どうして良いのかわからない。村が主導して何を作るのかを出してほしい。
〇村の方針を待っても仕方ないので、集落ごとに何を作るのかを考えて始めなければならない。土地を荒廃させないためにも、土地利用型の蕎麦を作る方向で考えている。できる範囲で農地を守らないと。せめて自分の地域だけでもなんとかしたい。そうすれば、周りの地域も変わるのでは。
〇寝る前などは、あと10年だと感じる。のんびり過ごすだけでも良いが、開墾してきた土地を考えて農業再開を目指します。

<避難後変わった(と感じる)こと>

〇世代間の交流が減った。
〇部落で婦人会は解散した。老人会は残っているが、活動は停滞中。
〇家族が分断された。

<選挙について>

〇若い人の投票率は興味が薄れているのか。
〇住んでいないのでやっぱりそうなる。選挙活動は、仮設や住宅の集まっているところでしかできない。
〇情報を取りに行かないと得られなかった。親世代から投票行けよって昔は言われていたが、世帯分離したのでそれが減ってきた。
〇若い人はどっちでも良いと思っている人が多い。自分は帰らないということで。